「バリウムでないよっ」・・・その後

どうでも良いことなのだけれど、もしも、もしも、バリウム出なくて不安になっている人が、「バリウム 出ない」で検索して来た時のためにご報告。

バリウム、無事排出されました。開通には6日かかった。
毎日お水を4,5リットル飲みました。
私は処方された下剤は、まったく効かない「スーパー」な人間なので、毎日朝から晩まで、「まだでない~・・・でない~・・・」と、他のこと手につかないような日々を過ごした。
6日かかっても大丈夫なものなのねえ。、無事に排出できたのは、他でもないマグラックス(酸化マグネシウム)のおかげだと思う。それも普段の倍量飲んで過ごしたよ。
マグラックス(またはマグミット)は、病院で処方してもらえるけれど、通販でも「3Aマグネシア」というのが売っていて、私は以前はそれを取り寄せていた。
バリウム、もうやだ。今度は絶対内視鏡検査にする。

さて、GWは私にしてはタイトなスケジュールだったので、疲れてしまって、昨日今日とぐったり寝てしまっている。やることいっぱいあるのになあ。
それにしても、ここのところいいお天気だったね。

まだまだ人を羨むことも多い私だけれど、そんな時は声を出す。
「私は私。人は人。」
妬まない。嫉まない。僻まない。  (←読めるかな?)

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点滴(入院記つづき)

最初に刺されたのは、手の甲だった。

とても痛かったが、それ以上に腸の痛みがひどく、利き腕の手の甲に刺されたことの不便さなど思いも及ばなかった。

身体は末端へ行くほど痛いのだという。だから、腕よりも手首、手首よりも手の甲の方が痛いのだ。

点滴液が落ち切ってしまうと、入射部分の血液が凝固してしまい、次に液を入れようとしても入らなくなる。なので点滴液はなくなる前にささっと取り替えねばならない。が、看護士さんは結構それを忘れるのだ。たくさんの患者を抱えているのだから仕方ないのだろうか。血液が凝固してしまうと、看護士はそれを溶かす薬らしきものを点滴管につなぎ、なにやらうにうにと押し込んでくる。これが結構痛い。

「痛、痛、痛・・・・」

とやっても入らないとなると

「うーん。もれちゃったねえ。刺しなおしてもらいましょう。」

となる。点滴の針は必ず医師が刺す。採血などは看護士がやるのにな。同じような医療行為に見えるけど、実は違うのかな。

CTスキャン検査時の点滴騒ぎのおかげで、右ひじの内側に針を刺されてしまった私。とにかく何をするのにもやっかい。肘をまげてしまうと点滴が落ちなくなるので、いつも気をつけて腕をのばしておく。そもそも肘を曲げると、針部分がやっぱり痛い気がするし。もう刺されるのはいやだーいやだーと思っていたけれど、仕方がないので刺しなおしてもらうことにした。

入院8日目(4/5)。看護士にその旨伝えると、それじゃあ先生に言っておきます、とのこと。あ~憂鬱。

ところが、しばらくすると看護士がやってきて言った。

「もうお食事も始まったことだし、点滴はずしていいって。」

えええーーっほんとに!? きゃーうれしい!

看護士は、一週間ともにすごした点滴をすぐさまはずしてくれ、がらがらと持ち去っていった。

その後の生活のなんと身軽なこと!点滴がいかに自分を束縛していたか、その時初めて分った。食事も、トイレに行くのも、ベッドで寝るのも、思いのまま。

あまりの嬉しさに、病棟内を散策しようと部屋からてくてく歩いて出たが、15メートルも行かないうちに断念して引き返した。まだお腹が痛くてとても歩けない。前かがみに腹をおさえながらよれよれベッドに戻る。痛みはじめてからかれこれ2週間にもなろうというのに、復調しない体にいい加減うんざりしてきた。

テレビなどで、抗がん剤の点滴を押しながらすごしている小児病棟の子供達の姿を見ることがある。かれらの腕にはいくつもの点滴の針のあとがあるのだという。そしていつ終わるともしれない治療・・・。

たかだか一週間で辟易しているわが身の弱さを少し恥ずかしく思うのだった。

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ふたたびCTスキャン

腸炎が全快しているのかどうか、よくわからない。

時折右下腹が痛む。というか違和感があるような・・・。

もうおしまいにしたいのにな。

今日は、CTスキャン再検査。

また造影剤を注入して、ウィーンとやってきました。

そしたら会計で9710円も請求されて、どびっくり。

たまたま万札持っていたからいいようなものの、こんなに高いの何度もやれないよ!

本気でもう終わりにしたいと思いました。

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CTスキャン検査

入院7日目の4月4日にCTスキャン検査あり。

CTスキャン自体は、入院当日にすでに一度経験している。筒型のがっしりした機械に入るのかと思ったら、近未来型の、ランプのついた大きなドーナツの中を、カヌーに乗って、バンザイして、ウィーンと往復するといったものだった。東芝製。

今回は腹を輪切りにした映像だけでなく、造影剤を投与して撮影するのだ。

この造影剤、ヨード造影剤というものだが、昆布の主成分であるヨードを主成分とした無色透明の液体である。これを、点滴の横から突っ込んで、血液中に流し込むのだ。すると、このヨードがX線に映し出され、血管や臓器の状態が把握できる。なんとも不思議だし、よくまあこんなことを考えた人がいるものだと感心した。

まず、左手首の点滴管に横から差し込んでみる。しかし、点滴の状態があまりよくないため(点滴針付近はしこりになって痛みがあった)、痛くて痛くてとても入らない。仕方がないので、点滴の針を刺し替えることとなる。(この日この時点で針は3度刺し替えられていたのだが・・・)。右手は利き腕なので、左手に刺そうとするが、なかなか血管が浮き出てこない。医師は点滴針が刺さったままの腕をたたいたりこすったり。

ばしばし!ばしばし!こすこすこすこす。ばしばし!ばし!

いで、いでで、いで、いでで、いででででで・・・・・

痛いんですけど!

「ダメですねえ。腕全体がもうむくんじゃってる。仕方ないから右腕に刺しましょう。」

だがしかし、私の血管は右腕にも現れてくれない。医師は見えない血管に針を刺す。

痛。

そして看護士と無言で作業を続ける。私はカヌーに乗っているので腕で何が行われているのか見えない。でもなんとなく雰囲気が悪い。

私  「ダメでしたか。」

医師 「ダメでした。」

針が血管に入らなかったのだ。また別の場所を探す。今度は腕の脇に。

痛痛痛。

そしてまた無言の作業。鋭敏になっている私の感覚は、再び嫌な気配を察知した。

「・・・・ダメでしたか。」

「・・・・ダメでした。」

いい加減にしてくれよと言いたいけれど、血管の浮き出ない私の腕が悪いのだから文句も言えない。

「しょうがない。肘の内側に刺しましょう。ここなら必ず入りますから。腕を曲げる時に不便かもしれないけれど、そしたらまた刺しなおしてもらってください。」

えええええ~っ。また刺しなおすの~っ? もうやだよ~・・・。

自分の腕をうらみつつ、従うしかないかわいそうな私。手に汗握りながら、また針が刺し込まれるのに備える。

痛痛痛痛。あ~もう痛いなあ。

やっと入りました。そして造影剤を投入する。すると、身体が下からお腹、胸、口内と順番にカーッと熱くなってくる。血液というものはこんな速いスピードで身体の中を巡っているのか、とちょっと驚きだった。

バンザイしてウィーン・・・。

やっと終わった。点滴騒ぎのおかげで、なにやらすっかり疲れてしまい、部屋に戻った後はベッドでぐったりしていた。針を刺されるというのは、何度やられても慣れない。

そんな時に、両親が子供達をつれてやって来た。

小太郎(小4)は、来るなりついと窓により、ガラスに顔をつけたまま私を見ようともしない。最初は何か落ち込んでいるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。短時間の面会の後、帰るときになってひとこと

「あーあ。時間ってすぐにすぎちゃうな。」

とつぶやき、私ときゅっと握手をして帰って行った。どうやら、甘えたくても甘えられなかったらしい。そういえば、腹痛が始まって以来子供達とろくに触れ合っていない。退院したら思いっきり甘えさせてあげるのだ。むふふふ。

明日(5日)からは学校が始まる。去年は小次郎は入学式だったっけ。

窓の外には、病院前の桜並木から流れてくる桜吹雪が舞っていた。

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となりは何をする人ぞ

Photo_8 4人部屋といっても個室並みのスペースをカーテンで仕切ってあるというもの。よくあるベッドの周りだけを囲ってあるタイプではない。十分にプライバシーは確保されていた。

が、仕切ってあるのはカーテン。音はお互い筒抜け。

入院当初、隣りのベッドの人は、足を骨折し、手術を受けたばかりの老婦人だった。トイレや食事、リハビリ等、大変そうな様子が伺えた。彼女は耳が少し悪いらしく、看護士さんたちはかなりの大声で話す。おかげでだいぶ病状を把握してしまった。夜中でも2、3回トイレ作業があり、そのたびに大騒ぎ。看護士という仕事は、肉体労働であり、たいそうな忍耐が必要だとつくづく感心してしまった。

同部屋だと見舞い客と患者の会話もよく聞こえる。無意識に聞きながらつっこんでいる自分がいた。

「入院って本当につまんないわよね~。」

「食事しかないもんね~。」

(私にはその食事すらないのよっ。)

「あっ、ハト!」

「へえええ。ハトも桜の木にとまるんだ~・・・・。」

(?????????)

糖尿の人も多く、食事の度に血糖値を測り、インスリンをうつ。

「はい、チクッとしますよ~」

食事のたびにチクッとされてはたまらない。糖尿病には気をつけようと心に決めた。

 

痛みに耐えかねて、声をもらしてしまうのは大変だなあと思う。(自分もそうだったから)

夜中のトイレも、いびきも仕方のないことと思う。

でも、鼻歌だけはがまんならない。

トイレットペーパーを三角に折られるのも嫌いだ。

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食べたくて食べたくて

Photo_7 まだ歩くとお腹にひびくものの、痛みがおさまり始めて2日もたつと、猛烈に食に対する意欲が湧いてきた。物を食べなくなって、かれこれ10日になる。心なしか、足が細くなってきたような気がする。(←ちょっと嬉しい。)

食事の時間になると、同室の人達の食べる気配が伝わって来る。看護士の声が聞こえる。

「今日はてんぷらに茶碗蒸しですよ~。」

なんだとーーーっ。もう、匂いがたまらない。

それにしても、なんとテレビの中は食べ物の情報で溢れかえっていること!番組もCMも食べ物だらけ。

虚しいと分かっていながらjohanにメールをおくる。
「ピザ食べたい」「お寿司食べたい」「トルティーヤ食べたい」「餃子食べたい」「焼肉食べたい」等々・・・・。

そんな日々をおくっていた入院7日目、4月4日。朝から採血、尿検査、CTスキャンなど実施。

結果、良好なので、ついにその日の夜から食事を開始することになった。ばんざーい。もう嬉しくて嬉しくて。

久々の食事は、後で述べるがその日点滴の針を肘の内側に刺し替えたことが気になり、楽しさはやや減だったが、ゆっくりゆっくり味わった。病院食にしてはやや濃いめの味付け。咀嚼運動がものすごく新鮮でびっくり。

食べ終わって早速johanにメール。

「五分粥だったよ。
 おかずもちょっぴりずつ3つもあったよ。
 ジュースもついてたよ。
 でもたべきれなくておかゆ半分残しちゃった。
 咀嚼したの久しぶりだよ。
 お腹、大丈夫だといいな。
 明日の朝ごはん楽しみ。」

johanからの返事。

「子供の文章(笑)
 とにかく良かったね。
 回復に期待!」

・・・・・・うーーーむ。そういえば小次郎がこういう文章を書いていたな。

己は始めて給食を食べた子供か、とちょっと恥ずかしくなった夜だった。

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入院

Photo_6 とりあえず携帯電話で関係各所に入院することを連絡。

春休みの子供達は実家に連れて行ってもらうことになった。

その後入院手続きに入るが、痛みのため身体をよじらせている私をみかねたのか、受付の人がほとんど代筆してくれた。

点滴をうけながら車椅子で病室へ。4人部屋、一日消費税込み3150円也。

ベッドに移っても痛みでひしゃげている私。

それからは絶食(うつの薬だけ許可)、24時間栄養剤点滴、朝夕抗生剤点滴の生活に。

痛み止めの点滴もしてくれたが、これがまたブスコバン。思わず看護士さんにつぶやく。

「ブスコバンですか。あの効かないやつ。」

看護士さん、苦笑い。

「まあ、ないよりはマシってことですね。」

ああ、ほらやっぱり効かないじゃないの!

でもここは病院。もう我慢も遠慮もしないのよ。夜中でもナースコールで助けを求める。

「お願いします。痛み止めを・・・・!」

ようやく、ブスコバンよりもかなり強めの痛み止めを点滴してくれた。

動くのは部屋の入り口に設置されたトイレに行く時だけ。H医師も看護士も「尿器もってきましょうか?」と言ってくれたが、そこは最後の砦と思い、よろめきながら頑張った。

そんな風にして2日たった31日土曜の昼ごろになって、ようやく痛みが少し落ち着いてきた。

本当に疲れる一週間だった。

    (写真は病床からの風景)

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急性腸炎

3月23日(金)夜10時ごろから、シクシクとお腹が痛み始めた。

痛みはどんどん強くなっていき、眠ることができない。

翌土曜の明け方には身動きすらできない状態になっていた。

腸全体が雑巾のごとく、ぎゅーっと思い切り絞られているよう。

朝6時過ぎに枕もとの携帯で、実家にSOSを発信。

朝ご飯は小太郎に頼んで、納豆を子供3人勝手に食べてもらう。

その頃から、嘔吐と下痢。

8時ごろ実家から父が到着。

私を一目見て「顔面蒼白。よほど痛いんだな。」と思ったそうだ。

とにかく痛くて動けない。

病院へ行けと言われても、病院で受付やらなにやらできる自信がない。

「ひとりでいくの~・・・・・?」

と子供のように情けない声を出す私に、父は結局付き添ってくれた。

病院で長い長い待ち時間の後ようやく診察。

問診やら触診やらの後、別室で注射を打たれ、寝かされた。

その間、診察室では子供がひきつけをおこしたとかで大騒ぎになっていたが、私は痛みのあまり気にかける余裕などなかった。

30分ほどして医師がやってきてまた触診。

「ウィルス性の急性腸炎ですね。腸を止める薬だしときますから。」

会計も薬をもらうのも父にまかせて、あるいて5分の距離をタクシーで帰宅。そのまま布団へ倒れこむ。

腸の動きを止めて痛みをおさえるというブスコバンなる薬を飲むが、まったく効かない。

腸が圧迫されると痛いので、仰向けにもうつ伏せにも寝られない。

ただ横向きに寝て、痛みの一番少ない部分を探す。横向きになっても、自分の腸自身の重みと、お腹の肉の重みで圧迫されて痛む。私の腹はこんなに重いものなのかと痛感した。せめてもっと痩せていれば・・・・・。

こんなにつらい思いはお産以来だと、試しに「ヒ・ヒ・フー」とやってみたが、何の役にも立たなかった。

あまりに痛むので、神経科で処方されていたロキソニンという鎮痛剤を勝手に飲む。これが効いてくれたのか、気持ち楽になった。

翌日曜も痛みと戦いながら一日寝て過ごす。

痛みが治まらないので、月曜に別の病院へ再度診察へ行く。

腹部X線写真など撮ったが以上なしということで、返される。処方された薬はまたもブスコバンだった。仕方ないので、ブスコバンとロキソニンを併用しながら一日を乗り切る。

夜は悶絶しているので、もう3日ほとんど眠っていない。食べることなどもちろんできない。

ふと自分の顔がやかんのように熱くなっているのに気付き、熱を計ってみたら39度3分だった。

火曜日の朝から生理が始まり、まさにふんだりけったり。

水曜、神経科の診療日。ロキソニンで痛みをごまかしながら、タクシーで病院へ。

「腸炎になってしまいました。」

痛みで引きつりながら主治医に言った。私の予定では、この日に出勤日を一日増やす許可をもらうつもりだった。

「どうでしょう。出勤日、一日増やしたいんですけど・・・・」

「ふふふふ~。腸炎が治ってからね~。」

あ~、こんなところで足踏みしている場合じゃないのに!

主治医からはブスコバンを処方されているならロキソニンは飲むなと言われた。

ロキソニンを飲まないとなると、痛みはもうとどまる所を知らない。ただただ布団の上でぐったり。痛みで身体を伸ばすことができないので、トイレに行く時も前かがみで壁をつたいながら。熱も一向におさまらない。

この数日間、毎朝早くから父がやってきてくれ、子供達の面倒をみてくれた。

そして、この痛みはやっぱりどう考えてもおかしい。と、私も父も思った。

29日木曜、再度病院へ。

痛みと熱のことを伝えると、今度はX線のほか、血液検査、尿検査、腹部CTスキャン検査を行った。この際、すべて車椅子に乗って移動。初体験だったが、こんなにありがたいものはないと思った。

検査の結果、炎症を示す値が非常に高いことが判明。白血球など天井を突き抜けそうな数値だったようだ。

「入院ですね。とにかく腸の動きを止めて、抗生剤をいれていくしか痛みを止める方法はありません。」

とH医師。

お財布と携帯電話をもっただけ、着の身着のままそのまま即入院ということになった。

(つづく)

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